飛鳥時代に建立された日本初の庚申尊を祀る『四天王寺庚申堂』へ潜入調査!
大阪府天王寺区の聖徳太子開基の四天王寺さん側にある『総本山・四天王寺庚申堂』にやってきました!
この寺院は、本邦最初の庚申尊を祀る寺院として知られ、昔は四天王寺の末寺でしたが、現在は独立し総本山を名乗っております。
大阪中心部一体は、太平洋戦争中の大阪大空襲で焼失してしまっている為、四天王寺さんと同様に、この寺院の建造物も真新しい造りになっておりますが、飛鳥時代の文武天皇の御代である大宝元年(701年)創建の約1300年の歴史を持つ庚申塔信仰の元祖とされる古社です。
そんな寺院を庚申塔信仰と共に、御案内致します。
境内は、思いの外広い造りになっておりました。
ちなみに、関東の方からすれば庚申塔は道端等に置かれているのを目にする機会が多い為、馴染みのある石塔だと思われますが、発祥の地である大阪では目にする機会が殆ど無い為、知る人は非常に少ないです。
これは、関東で江戸時代に起きた庚申信仰ブームと数量信仰(良いものを沢山つくると御利益がある的な信仰)の影響で多くの庚申塔が建てられた為です。
▼四天王寺庚申堂 本堂
約1300年前の文武天皇の御代(697~707)に様々な疫病が流行し多くの民が苦しみました。
人々は良薬や高僧の祈祷を求めるも効果がありませんでした。
この状況を憂いた豪範という僧が祈りつづけていた所、天宝元年(701)の庚申年の正月7日庚申の日に、一人の童子が現れ「帝釈天が、汝の人の悩みを憐れむ至誠を感じて、除災無病の方便を与えよ、との命により天から降ってきた」と告げました。
豪範が、その時感得した「青面金剛童子」を祀ると、巷に蔓延る疫病が退散したと伝わります。
これが当庚申堂のはじまりであり庚申信仰のはじまりと云われております。
▼庚申塔信仰とは!?
「庚申信仰(こうしんしんこう)」とは、中国道教が説く「三尸虫(さんしちゅう)」という人間の体の中にいるといわれる虫が、庚申の日の寝ている間に天帝(神様)へ、その人間の悪事を報告しに行くとされる事から、それを避ける為に庚申の日は夜通し眠らずに天帝を祀り、宴会や勤行を行う風習から始まった中国由来の信仰です。
日本に渡来してからは仏教、密教、神道、修験道や、日本由来の信仰や習俗などが複雑に絡み合った複合信仰となりました。
ちなみに、庚申の日は、約60日に一回巡ってくる為、その都度夜通しで行う事となり、これを庚申待と言います。
そして、主に東日本に多く建立される庚申塔は、庚申待を3年18回続けた記念に建立されたものです。
庚申待を行わないと、その罪によって寿命が縮められたり、死後に地獄・餓鬼・畜生の三悪道に堕とされると云われておりました。
境内に置かれる「井筒」と書かれた、この石塔が何かが分からなかったので、分かり次第記載致します。
庚申信仰発祥の地という事もあり、てっきり境内には多くの庚申塔が建てられているかと思い、境内にいたお坊さんに聞いてみると「境内の一角に少し建っているだけですよ」との事でした。
飛鳥時代の庚申塔かと思い期待し観てましたが、恐らく江戸時代後期頃のものだと思われる石塔がいくつか建っておりました。
▼さいごに
以上で本邦最初の庚申尊を祀るとされる『四天王寺 庚申堂』の御案内となります。 「四天王寺」さんへの参拝後に次いで、是非とも参拝に訪れて頂きたい寺院でした。 皆様も訪れてみては如何でしょうか。 御精読有難うございました。
▼アクセス
住所:大阪府大阪市天王寺区堀越町2−15
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